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気象レーダー(気象庁による)2025年9月11日13時10分~16時00分 活発な雷雲集団が発生し、東京?神奈川は、局地的な猛烈な雨となりました。 雨雲の動きをみると、個々の雨雲は東北東に進みました。 横浜?川崎付近で発生?発達した雨雲が、西方から進んできた別の雷雲集団と、 23区西部で一体化したようにも見えます。
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【秋雨前線の南下】
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気象庁作成の速報天気図です。 秋雨前線が日本付近をゆっくり南下していました。 前線の南側では、南西の湿った空気が流れ込み、 活発な雨雲が作られやすい状況でした。 Earthが再現した地上風の様子(こちら) 鹿島灘から東風が流れ込んできていた様子です。 南西からの暖湿気が、東風の上に持ち上がって、 より活発な雨雲が生成したのかもしれません。 |
【立会川浸水被害】
記録的大雨により、目黒区や品川区では浸水被害が出ました。主に立会川について浸水被害場所を地図にプロットしました。なお、背景地図は、あえて大正6年測図の旧版地形図にしています。 下の地図をクリックすると大きな地図がみられます。 |
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"東京山の手大雷雨”の浸水被害か所(×印)。背景地図は大正6年測図2万5千分1旧版地形図「東京西南部」 作図にあたり、埼玉大?谷健二先生開発の「今昔マップ」、全国Q地図、国土地理院「色別標高」「地形陰影図」を参考にしました。 なお、色別標高は現在の標高データをもとにしたものです。大正6年当時の立会川の流路については加筆しています。 土地利用を概観すると、浸水したところの多くは、大正6年(1917年)当時は、水田だったことがわかります。 当時の地図には、「伊藤博文墓」「勝海舟墓」などが記されているのが興味深いです。 立会川の北側の台地(目黒台?目黒面)にはいくつかの集落がみられますが、 立会川の南側の台地(荏原台?下末吉面)は、未開発だったようです。 現在は台地も低地も住宅などの建物でびっしりです。 地表面はアスファルトなど人工構造物で覆われ、雨がふったら地面に浸み込む水はほとんどなく、 地表面を雨水が流れるようになるため、大雨の際は低地の浸水リスクが高まったといえます。 浸水被害地点をハザードマップにかさねたものは(こちら)です。 今回の浸水被害地点は、0.5~3mの想定浸水区域とほぼ重なります。 ![]() |
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立会川流域の土地利用の変化を表現した模式図です。 かつては、大雨になっても地中に浸透する雨水がありましたが、 現在は宅地化により地表面は人工地盤(コンクリート?アスファルト)で、 固められてしまいました。 大雨になると、雨水は地表面を流れ、低い土地に向かいます。 緑道は暗渠の上に作られています。この緑道沿いの低地では浸水被害が起こりやすいのです。 暗渠となっている立会川は排水機能を持っていますが、 1時間に100ミリ以上の雨が降ってしまうと、排水機能の限界を超えてしまうと思われます。 大正時代にも低地が浸水することはあったでしょう。でもそこは水田でした。 |
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等々力渓谷下、矢川橋上流 等々力渓谷の遊歩道を降りると右岸側は舗装道路となります。 転落防止用のフェンスの川側下部にアクリルの止水板があります。 記録的な大雨(1時間に113ミリ)によって、短時間ではあるが溢水が生じました。 |
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河川ライブカメラ。左は矢川橋、右は玉川樋管上流(東京都水防災総合情報システム、利用申請中) 動画は、5分間隔で20倍速となっています。 13時30分頃から雨が降り出し、14時00分頃から急激に増水し、14時15分には氾濫危険水位を超えました。。 14時35分~45分頃に溢水が確認できます。止水板は最近設置されましたが、ある程度の効果はあるようです。 。 |
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世田谷区玉川支所の雨量と矢川橋の水位 都市河川の特徴でもありますが、水が出るのが早いですね。 1時間に100ミリを超える猛烈な雨は、めったに観測されません。記録的な雨です。 |